クラシックギターの道
思えばなが〜い道だった。
と言ってたどり着いたわけでもなく、終着駅が見えるわけでもない。
何となく一息ついた感じがする今日このごろ、少しはふり返って歩いてきた道を遠くからながめて見たいと思う。
ギターの話し、音楽の話、面と向かって熱く語り合えたのは昔の話。
今は、誰もなにも語らないのか、語っているのが聞こえないのか知らないが、私の周りではすこぶる穏やかである。
教育されていないしつけの悪い他人の子供を叱るのがはばかられる様に、教育されていないギター奏者に毒舌をはくこともはばかられる。
それぞれの家庭にはれっきとした家庭教育があって、他人が口をはさむ必要はない。同様にそれぞれの教室には教育方針があって、他人が口をはさむ筋合いのものではない。
こういう理由で、家系が育ったり、それぞれの指導者のカラーが育ったりするものだから、それはそれでいいけれど、なんら改善の余地が見られない。
私も他人の子供や親を叱った事はあまりない。
その挙句が今日をまねいているわけだから、やっぱりなんとかせねばならんでしょう?
と、言った愚痴を毎日のように、思ってるわけだが、さっき言ったように、ぶつける相手がいない、っではなくてぶつけられる余裕を持った人がいない。
そこで、そう言った愚痴に属する様な言葉も交えて、日頃思うことを書き止めておきたいと思う。
今までに書いたこともあったが、すべて消えてしまった。
これは私の不注意で、ハードディスクを壊してしまったためである。
昨今はクラウドコンピューティングが主流だとか?
雲の上に文章を書くということは、考え様によっては素晴らしいことだ。
イエスは、「天に宝を積め、宝のあるところに心があるからである」と言われた。
クラウドコンピューティングは、雲の上に心をおく様なものかもしれない。
そんな気持ちもあって、ブログを始めることにした。